麺のゆで方:塩、でんぷん、洗うかどうか

ゆで湯に塩を入れる理由、油を入れるのが間違いである理由、そしてどの麺を洗い、どの麺を決して洗わないかの本当の規則。

ゆで湯の塩が、麺そのものに味をつける唯一の機会

ゆでた麺は、あとから味を吸いません。ゆでているあいだに吸ったものがすべてなので、塩を入れない湯でゆでると、麺そのものは最後まで味がないままです。ソースにきちんと味がついていても、その対比のせいで料理全体がぼやけて感じられます。

目安は水1リットルに塩10g(1%)です。味のついたスープに入れる麺なら減らし、スパゲッティ・アッラ・カルボナーラやアーリオ・オーリオのようなシンプルなソースなら守ります。

塩を入れた湯の鍋がまったくないとき

パスタ・エ・ファジョーリはパスタを別にゆでることがありません。乾いたまま豆のスープに入れます。すると上の段落は規則ではなく段取りになります。あとで麺に味をつける機会はないので、パスタを入れる前にスープの味を完全に決めておかなければなりません。あとから足した塩はスープを塩辛くするだけで、パスタは味のないままです。

それは次の節も極限まで押し進めます。パスタが出すでんぷんは一滴も捨てられないので、とろみをつけるのはパスタ自身なのです。

そして麺がゆでたあとに味をつけられるとき

このページの冒頭の規則は、麺がどんぶりの中で一度にソースと出会うことを前提にしています。つけ麺はそうではありません。ざるそばは塩をはっきり拒み、自分で理由を述べています。「湯に塩を入れない。そばにはすでに塩が含まれていて、加えても塩辛くなるだけです」。手順には「パスタではない」とも書いてあります。しかしこの規則が縛らないもっと大きな理由は、料理のどこもゆで湯にまったく頼っていないことです。味はあとから、ひと口ずつ、つゆからやってきます。その仕組みはすでにこのページの下の方、コルベンイムチムについての一文にあります。麺は鍋を出たあとも吸い続けるのです。

それが変えるのは、つけ汁をどの濃さで作るかで、ざるそばはその両端を書いています。つゆは濃いめに作り、ひと口ごとに下3分の1だけをつけるよう指示します。「全部浸すと塩辛くなる」からです。一方、同じ料理の温かい版は、まったく同じつゆを3〜4倍に薄めてからかけます。液体は一つ、濃さは二つ、そのどちらにするかを決めるのは麺のどれだけがつかるかです。

ブンチャーは同じ理由で反対の端にあります。そのヌックチャムは最初から薄く作られます。ヌクマム大さじ3に対してぬるま湯カップ¾です。そのどんぶりはひと口の先が触れる猪口ではなく、麺と焼いた豚肉の両方がつかる湯船だからです。どちらも薄いソースでも濃いソースでもありません。同じ判断を二つの違う深さでしているのです。

それは下の「洗う」にも条件をつけます。ざるそばは冷水のあとしっかり水気をきります。「麺についた水がつゆを薄めてしまう」からです。洗った麺は水を運び、その水はつけた先に落ちます。直火焼きは、食べる人が焼く側になると味付けは塗るものではなくつけだれになると書いています。これはその受け渡しを一段階早くしたもので、誰かが席に着く前に猪口の中身を決めておくことです。

ゆで湯に油は入れない

くっつかないように入れる油はほとんど効かず、ソースが麺に絡むのを邪魔します。油は表面に浮き、引き上げるときに麺をおおってしまいます。

くっつきを防ぐには、湯をたっぷり使い、表面のでんぷんがいちばんべたつく最初の30秒以内に一度かき混ぜることです。

ゆで汁は材料

麺をゆでた湯には溶けたでんぷんが含まれていて、そのでんぷんは脂と水のあいだの乳化剤として働きます(ソースが分離する理由)。

だからパスタソースが脂っぽく分離しているときは、ゆで汁を大さじ2〜3加えて勢いよく混ぜると、麺に絡むクリーム状にまとまります。アーリオ・オーリオは本質的にこの一つの技術で、スパゲッティ・アッラ・カルボナーラでは同じゆで汁が卵がぼろぼろに固まるのを防いでいます。

湯が多すぎるとでんぷんが薄まり、効果が弱まります。パスタはたいていの人が使うより少ない湯でゆでるものです。

洗うか洗わないか:規則がある

これは好みではなく目的の問題です。

ソースを絡ませたいなら洗いません。表面のでんぷんが接着剤です。パスタや炒め麺がそうです。洗い流すとソースがすべり落ちます。(チャジャンミョンはここに入りそうに見えて、入りません。下を参照してください。)

冷たくして出すとき、またはコシが目的のときは洗います。冷水は表面のでんぷんを落とし、火の通りをぴたりと止めます。冷麺やピビムグクスの歯ごたえはまさにそこから来ます。ぬるい水ではできず、氷水のほうがよいのです。

ただし、冷たい麺がたいてい小麦ではない理由は、どう洗うかとは別の話です。でんぷんはアミロースとアミロペクチンでできていて、冷えると再結晶するのはアミロースです。緑豆でんぷんはアミロースが30%を超え、ふつうの米のおよそ倍なので、冷えてもやわらかくならず、固く、弾力があり、べたつかない状態に固まります。それがヤムウンセンの春雨で、冷麺がそばにじゃがいもやさつまいものでんぷんを合わせるのも同じ理由です。どれだけていねいに洗っても、小麦の麺をその食感にはできません。

その二つが同時に当てはまるとき

ピビムグクスは冷たく、しかもソースであえるので、一つ目と二つ目の規則が同時に働きます。それでも洗います。氷水でしっかりと。そしてでんぷんを落とした麺にたれを留める方法は、接着剤を取り替えることです。コチュジャンのたれは乳化したでんぷんではなくそれ自体の濃さで絡むので、あえる前の最後の指示は麺の水気を絞ることです。残った水はペーストを薄め、その濃さが唯一の手がかりだからです。

それは上の段落が冷麺の食感には届かないと言う小麦の麺でもあり、料理もそれに同意しています。挙げられているアレンジはチョルミョンや冷麺の麺でコシを増すことで、方法を変えるのではなくでんぷんを取り替えているのです。

コルベンイムチムは拒むことで同じことを示しています。同じそうめん、同じコチュジャンと酢のたれなのに、麺はあえものに混ぜずに横に添えます。麺は鍋を出たあとも吸い続け、たれを持っていってしまうからです。薄いたれに洗った麺、それが二つの料理が反対の方向から避けている失敗です。

チャジャンミョンはもう一つの組み合わせです。一つ目の規則と、二つ目の後半に引っかかります。温かく出し、ソースをかけるので冷たいところは何もありません。それでも麺を洗い、温め直します。二つ目の規則が名指すコシのためです。接着剤の問題は麺をゆでる前に片がついています。そのソースはフライパンで水溶き片栗粉でとろみをつけてあるので、でんぷんはすでにどんぶりの中にあり、麺の表面が出せる量よりも多いのです。ピビムグクスが麺のでんぷんをペーストの濃さに取り替えるのに対し、こちらはわざと入れたでんぷんに取り替えます。どちらにしても読むべき規則は、何がソースを支えているかについてのほうで、何度で出すかについてのほうではありません。

スープを澄ませたいときは洗います。 アルカリ性の麺、つまりラーメンや中華麺にはかん水が入っていて、ゆで汁が黄色くぬるぬるになります。それがスープに入ると濁り、かすかに苦くなります。ラーメンが麺とスープを別々に作り、カオソーイがゆでた麺をどんぶりに入れる前に洗うのはそのためです。

よくあるのは麺自身のでんぷんで、求められる動作も違う

かん水は最初から生地に入っていた添加物です。ふつうの小麦やそばの麺は何も加えていないのに、澄んだスープに入れるには洗わなければなりません。麺自身の表面から出るでんぷんのためです。冷麺はその重大さをはっきり言っています。「表面にでんぷんが残っていると、麺がくっつき、スープが濁る」、そして「澄んだスープはここで決まり、あとでいくらこしても直せません」。チャンチグクスはそうめんを洗ってから、1時間澄ませておいた煮干しのスープに入れ、コングクスも豆乳のスープをかける前に洗います。そのでんぷんがどんぶりの中で何をするかは、スープが濁る原因をそれぞれ分けて扱っているソースが分離する理由の領分です。

そして動作は、言葉が示すものとは違います。冷麺は、すすぐだけでなくもみ洗いするよう言います。すすぐのと手のひらでもみ合わせるのは別のことで、水が澄むまで2〜3回水を替えます。コングクスももみ洗いします。麺の表面を流れる水はでんぷんを動かすだけで、取り去るのは摩擦です。ピビムグクスが氷水で控えめにではなくしっかり洗うのも同じ区別です。

そもそもなぜかん水が生地に入っているのか

上の段落はアルカリを洗い落とすものとして扱っていて、なぜそこにあるのかという問いが残ります。pHが高いとグルテンの網ははるかにのびやすくなります。生地が抵抗しなくなってなめらかにのび、細くするあいだに切れる麺が減ります。

それが、蘭州拉麺が手で折ってのばすだけで何百本にもなれる理由です。黄色い色とぬめりは目的ではなく副産物です。だからこの料理は必ず麺を別にゆで、洗い、澄んだスープに入れます。洗い落とさなければならないものは、最初から生地の中にあったのです。

アルカリを色の道具として使うのは別の話です(砂糖が甘さ以外にしていること)。

作る側:何が麺の形を作り、何がまとめているか

ここまでのすべてはゆでることの話でした。作る側には二つの別の問いがあります。

何が形を与えるか。グルテンのある生地なら答えはいくつかあります。カルグクスはのばして切り、蘭州拉麺は折ってのばし、シュペッツレは穴からこそげ落とし、オレキエッテは親指で一つずつ返し、刀削麺は一つのかたまりから鍋へじかに削り落とします。これは火を通す前に生地を分けない唯一の方法です。対照的に、カノムジーンが生地を穴から押し出すのは選択ではありません。米にはグルテンがないので、生地はのばすことも折ることもできず、押し出すしか残っていないのです。

何が一本をまとめているか。ふつうは二つのどちらかです。

  • グルテン:上の小麦の生地はすべてそうです。
  • 糊化したでんぷん:腸粉は薄い米の液を流して蒸気で固め、涼皮は小麦でんぷんを使い、ヤムウンセンの春雨は緑豆でんぷんです。

三つ目の場合があります。パッサテッリはすでに焼いたパン粉とチーズでできているので、網を作れるものが何も入っておらず、接着剤はスープの中で固まる卵だけです。だから前もってゆでておけません。水気をきって置いておくと水を吸って溶けてしまいます。

そして両方が同時に働く場合もあります。シュペッツレは上では小麦の生地として「形」の側に入れましたが、小麦粉250gに卵3個を使い、加水率は80%を超えます。のばして切るにも、折ってのばすにもゆるすぎます。それほど水っぽい生地が沸騰した湯に落ちてもばらけないのは、グルテンだけのおかげではありません。表面の卵のたんぱく質が触れたとたんに固まって形を決め、そのあいだにグルテンが一本をまとめるのです。上の二行は「このどちらか」ではなく「少なくともどちらか」と読んでください。

米麺はゆでずに浸す

乾燥した米麺を沸騰した湯に入れると、外側から崩れます。方法は、しなやかになるまでぬるま湯に20〜30分浸し、食べる直前に沸騰した湯に10〜20秒くぐらせることです(浸水)。

パッタイではこれが避けられません。麺は中華鍋のソースの中で仕上がるので、完全に火の通った麺は鍋に入ったとたんにのり状になります。

袋の表示ではなくソースに合わせてゆでる

麺は湯をきったあとも余熱で火が入り続け、たいていの料理はソースやスープの中で仕上げます。

  • ソースの中で1分過ごすなら、袋の表示より1〜2分早く湯をきります。
  • カルグクスのようにスープの中で直接ゆでる麺は洗わずに使います。表面のでんぷんがスープのとろみになるからです。
  • ゆでた麺を待たせなければならないなら、油をまぶさずに冷水で洗い、直前に熱いスープやソースで温め直します。
  • ただし湯をきった麺に油をまぶすのは、ゆで湯に入れる油とは別の問題です。最後にスープのない乾いた中華鍋で仕上げる炒め麺は、湯をきって洗い、軽く油をまぶします。ミーゴレンがそうです。麺は鍋を出たあともソースを吸い続けるので、くっつかないようにしておき、中華鍋ではかき混ぜずに返すように仕上げます。

いちばん多い失敗は、麺をゆで上げてからソースを待たせることです。順番はいつもソースが先、麺が後です。

待つことが方法の一部であるとき

この最後の一行は、湯をきってからソースに合わせるまでの間を損失として扱い、その上の項目は避けられない待ち時間を冷水と遅めの温め直しで処理するものとして扱っています。どちらも、麺は湯から出た瞬間がいちばんよい状態だと前提しています。二度目の加熱や、別の食べる温度がまだ先に控えているなら、湯をきったばかりの状態は目標ではなく、その間が仕事をしているのです。

  • 麺をまだ炒めなければならないとき。ナポリタンはスパゲッティをゆでてから、フライパンに近づける前に置いておきます。そのページ自身が名前を挙げる喫茶店の知恵です。その性質はこのページの上の方で述べたもの、冷えるとアミロースが再結晶することですが、緑豆でんぷんを選ぶ理由としてではなく、数分間の小麦の麺の上で読んだものです。表面が締まるので、麺同士が蒸し合わずに炒まります。ご飯の炊き方がこの現象とそれを向けられる方向を扱っていて、これは小麦の上の、ばらけさせる方向のものです。アルデンテをわざと過ぎてゆでても持ちこたえられるのもこのためです。炒めてからソースを絡める麺には、やわらかくなる機会がさらに二回あり、置いておかなければ、その二回がやわらかい麺をぐずぐずの麺に変えてしまいます。
  • わざと冷ましてから出すとき。カノムジーンは前もって作り、温め直しません。「室温の麺と、上からかける熱いカレーの温度差も、この料理の一部です」。だから変わるのは速さではなく扱い方です。ゆでた米麺は表面がべたつき、ばらばらのままにしておくとひとかたまりになるので、湯から出したそばからひと口分ずつの巣の形に巻きます。ソースは熱く、麺はそうではない。上の順番は保たれていて、麺が先に仕上がっていたのです。
  • 待つのを誰かがすでにやってくれたとき。焼きそばは蒸した中華麺を買うので、鍋も塩を入れた湯もなく、洗うかどうかの問題もまったくありません。油と大さじ1の水は加熱ではなく麺をほぐして戻すためのもので、強火は表面の水を飛ばし、ソースが乾いたところに乗れるようにするためです。ナポリタンは同じフライパンを反対の出発点から使っていて、違いのすべては誰が麺をゆでたかです。

だからこの節の冒頭の順番は、麺が湯からソースへ行くところではどこでも正しく、たいていの麺はそうです。そうでないところで問うべきなのは、麺がこの先まだ何を生き延びなければならないか、熱いフライパンなのか、それとも台の上での1時間なのかです。

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